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スタンフォード大学名誉教授で教育に「ケアの論理」を取り入れたネル・ノディングスというかたが「子どもたちは、探求と学びに完全に打ち込むためには、安心安全で、ケアされていると思えなければならない」と言っています。この「ケア」ということは何を指しているのでしょうか。辞書を引くと「care」という単語の意味は「気がかり、心配、不安、配慮、気配り」とあります。子どもたちが自ら探求し学ぶためには「気をかける」ことや「気配り」してあげるということが重要なようです。私は常々、「教育や保育は指導よりも支援が重要」と話しています。それはノディングス氏が言われるような子どもたちが自ら主体的に行動できるような生活を送ることで、社会につながる重要な資質を得る機会になるからだと思いっているからです。
また、それと同時に「子どもが自ら学び自己教育力を飛躍的に伸ばすものは『異年齢混同』」とも言われています。このことはボストン・カレッジの心理教授 ピーター・グレイ氏がアメリカのボストンのサドベリー・バレーの小学校での研究から示したことです。その理由として「子どもたちが自分よりも年上ないし年下の多様な子どもを観察し、そして接することを通して学ぶことが多いからだ」と話しています。しかし、ここでの話は教科の成績だけの話ではなく、自ら問題を解決し、新しい価値を生み出すような力を学ぶといった非認知能力やヒトと共に活動するといった共感能力の事を話しています。そして、これらの力はこれからの社会に必要になってくる力といわれています。また、異年齢集団の中では冒頭であった「ケア」を年長者が年少者にする機会も出てきます。何もケアをするのは先生だけではありません。このように子ども集団の中で学び養われる能力は多岐にわたります。そのため、大人がすることはいかに子ども同士が関わり合い、学び合う環境を作るかという事が重要になってきます。
私はこれこそが教育や保育を行う本質であると思うのですが、一方で、グレイ氏は未だ教育が専門の教授たちは、自由な異年齢の混合が持つ教育的な価値に目をつぶり、教育は教師の管理下で行われ、生徒たちが同じレベルにある時に最も効率的に行われるといった考えに病みつきになっていると話しています。確かに教師指導で行うことは大人主体で知識を生徒に伝える効率のいい方法かもしれません。しかし、子ども自ら学ぶ力をつけることや工夫すること、想像力や創造性を豊かにすることにつながるでしょうか?
最近、東京都渋谷区が「未来の学校」といった取り組みを始めました。そこでは「子どもたちが自発的に主体的に考え、それを実行していく力を身につけてほしい」といった長谷部渋谷区長のもと、渋谷区から世界へと活躍する子どもたちの育つ場所を勉強だけではなく、地域のコミュニティとして機能を変えていくビジョンを出しています。多様な学びのエリアを作り、子どもたちが主体性と探求心を学べるようになっています。職員室はカウンターになっており、子どもと気軽にコミュニケーションが取れる場になっています。学校には地域の人も入ってきて共に学ぶような環境をつくるようです。地域の人も使える運動場、休日は地域のコミュニティスペースとなり、災害時は地域の防災拠点となります。面白いのが、これを渋谷区の公立小学校が行うということです。そして、たびたび出てきた言葉が「子どもたちの主体性と探求心」という言葉でした。これまでの教育とこれからの教育の大きな変化がすでに始まってきているように感じます。それに応じて、保育もこれまでの保育からの脱却をしていかなければいけないのだろうと改めて感じました。そして、たちばな幼稚園で行う見守る保育(藤森メソッド)というものが、今必要とされる保育の一つの形態なのだろうと改めて感じました。この渋谷区の取り組みはYouTubeに出ているので興味のある方はぜひごらんになってみてはいかがでしょうか。
2024年1月10日