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遊びとSTEM教育

副園長のコラムcolumn日々考えること

2013年イギリス・オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授は2013年当時から10~20年の間に、アメリカの総雇用者の約47%の仕事が機械に代替されると予測しました。2015年には日本の野村総合研究所が10~20年後今ある仕事の約49%がAIやロボットなどに代替されるという試算を発表しました。この結果を受け、来年2025年にはいよいよ当時の発表から10年経つことになります。ここでの発表のようにすぐに世の中が大きく変わるということはないでしょうが、少しづつ世の中の社会形態は変わってくるかもしれませんね。少し怖い気もしますが、どんな変化が起きるのかワクワクします。

 

最近、Amazonの工場を紹介する番組を見ましたが、商品の仕分けから発送まですべてをロボットが行っており、工場の中にいる人間はかなり少ないことが映像から見えてきました。これまではプログラミングされたことしかできなかったロボットが自ら判断するようになることに技術の進化というのはすごいなと純粋に感じます。2016年にはアメリカの大手法律事務所「Baker&Hostetler」が世界初となるAI弁護士「ROSS」が採用され、主には破産に関する法律のアドバイスをするようになったのがかなり話題になったそうです。AIのすごさは人間が読み切れないほどの膨大な法律文書や参考文献を読み取り、最適な回答を出すことです。そして、質問をするほどに習熟度をたかめ、さらに最適な回答が得られるようになります。昨年話題になった「ChatGPT」も同様のことが言われていますね。こういった機械による代替が起きてくると確かに仕事は効率的になり、人を必要としない仕事が増えてくるのだろうと思います。しかし、これは何も悲観的になることではないと思っています。

 

それはおそらく無くなっていく仕事が出てくるのと同時に、新たに生まれてくる仕事も出てくるだろうと言われています。ただ、ここで問題になってくるのが「AIやロボとを使う側の仕事」と「AIやロボットに使われる仕事」が生まれてくるということです。では、使う側と使われる側はどう違うのでしょうか。このことについて早稲田大学ビジネススクール客員教授の成毛眞さんが書いた「AI時代の人生戦略『STEAM』が最強の武器である」にこう書いています。「使う側とは、AIやロボットを道具のように扱ってイノベーションを起こす仕事であり、使われる側とはAIやロボットに命じられるままに働かされる仕事である」と書いています。人間はこの先AIに使われる仕事も出てくるというのです。

 

では、使う側になるにはどうしたらいいのでしょうか。成毛氏は「AIを使いこなすためには当然技術的な知識が必要になってきます。それ以上に数学などの能力も必要になるかもしれません。」と話しています。そして、それと同時に「仕組みやルールの上で、自律的に仕事を選んで働くことが求められる」と言っています。ここでいわれる「仕組み」というのは先ほど出てきた弁護士のAIのようにこれまでの事例であったり、ルールに関して機械的に判断するような枠組みの事を指します。つまり、AIを使う側になるには自律的にかつクリエイティブな思考も同時に必要とされることが言えます。そして、成毛氏は「楽であることに身を委ねるという選択は、AIに使われる側になることに直結する。仕事を離れてもなお古い思い込みにとらわれ、間違った判断をし、その結果、様々な面で損しかねない」と話しています。

 

そのため、成毛氏は「STEM教育」の必要性を説いています。これまでもSTEMについては巻頭言などで触れてきましたが、サイエンス(科学)・テクノロジー(技術)・エンジニアリング(工学)・マセマティクス(数学)の頭文字を取ってSTEMです。こういった科学に関わる力が必要といわれています。なぜなら、これらの分野は論理的な思考が求められるからだと言われています。それと同時に、科学的な思考というのはつねに「なぜ」「どうしてこうなるのだ」といった不思議を解き明かす実験的な活動が多くありますし、それらの活動がクリエイティブな思考を生むからなのでしょう。

 

この「不思議」という感情は赤ちゃんでもあります。以前ドイツに研修に行ったときに「赤ちゃんは優れた科学者です」と話されていました。赤ちゃんは様々なものをジッと見つめます。馴化実験というものがありますが、赤ちゃんは見たことがないものや不思議なものをじっと見つめるそうです。そして、見慣れてくるとジッと見なくなるといったことを利用する実験があります。まるで脳に情報をインプットしているようですね。乳幼児期にたくさんの不思議と思える興味や好奇心をたくさん体験させることも、これからの社会においてとても重要な意味があるように思います。遊びのなかで起きる「不思議」や「実験」はSTEMともいえるのかもしれません。また、それは子どもの主体性から生まれるものでもあります。プログラミングというものが最近もてはやされていますが、それらの活動だけではなく、たくさん自ら様々なものに触れて自由に遊ぶことも学びの中では大切なことなのだろうと考えています。