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投稿日時 | 2022年9月7日 |
9月に入り、徐々に強い日差しも柔らかくなってきています。子どもたちの遊びも、水遊びやプール遊びから散歩に行くことも増えてきました。今日は乳児クラスが散歩に出かけています。
散歩というと、最近では事故が起きていたり、悲しいニュースも出てきています。果たして子どもたちが安心して安全に遊ぶ環境はどうあるべきなのでしょうか。この「安全」という考え方ですが、何をもって安全であるのでしょうか。保育においては子どもが「怪我しない」ということは大切なことですが、それと同時に「自分で自分を守ること」も大切な保育の目的であると考えています。このことに気付かされたのはドイツに研修に行ったときの環境でした。ドイツでは日本とは違い、岩がむき出しなっていてなおかつ水まで出ている環境がありました。しかし、日常的に絆創膏や怪我が起きることは少ないと話していました。
なぜ、そうなるのでしょうか。このことについて、ドイツの保育者は「子ども自体が危ないと判断したら、そこに行かない」といっていました。危ないと思うからこそ、近づかないのです。それは「本来の子どもの能力を信じている」ということが根底にあるのですが、これは実際の保育を見ていてもこのことを見る機会があります。1歳児や2歳児の子どもたちが幼稚園の芝生で遊んでいると、ジャングルジムに上ろうとする姿を見ます。しかし、子どもなりに危ないと思うところで降りてきて、むやみに一番上まで登ろうとはしません。乳児でもこういった姿を見ると、人間自分で危険を察知する能力があるということが分かります。
しかし、中には降りられない子どももいます。このときどう対処したらいいのでしょうか。大人が受けとめておろすことは簡単です。しかし、それでは子どもの危機回避能力は育ちません。大切なのは、こういった状況に陥ったときにどうすればいいのかを教えなければいけないのです。そのため、幼稚園では、子どもにどこに足を置けばいいのか、手をどうすれば降りられるのかを教えます。降りるのも自分で降りれるように伝えるのです。自分の力で降りて、初めて「怖い」という感情と、「降りること」を学び、「自分の能力を知る」ことにつながります。本当にどうにもならない時に大人が助けてあげるということも時には必要なことですが、こういった子どもの姿から見通しをもって、回避することを保障するのも保育をする上で非常に重要なことなのです。
散歩においても、同様ではないかと考えています。散歩に大人と歩く経験を通すことで、道路の歩き方や安全な青信号の渡り方を体験していきます。交通安全教室だけではなく、実体験を通すことで知識や体験を繰り返す中で定着していきます。「子どものために」と思って、危険を遠ざけることはかえって、未来の危険に対応する力を失わせている可能性もあるという事を考える必要もあるように思います。そして、園で散歩に行くことは「友だちと体験を共有する」ということもあります。こうして共有していく中で学びはより深いものになってきます。徐々に年齢が上がってくると「こっちだよ。駄目だよ」と教えている様子も見られます。こうやって人に伝えながら、子どもたちの学びにもつながっているのです。
散歩は公園で遊ぶことが全てではなく、こういった道中での体験も大切な保育の経験であると感じながら、今日は子どもたちの散歩を見送りました。幸いなことに、たちばな幼稚園の近くの公園は通りを一本入るので、交通量もそれほど多くないので散歩するにはいい環境だなと感じます。
2022年9月7日