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小学生との交流

副園長のコラム

先日、門真小学校の2年生の生徒たちが幼稚園に遊びに来てくれました。「地域のつながりを知る」というテーマでの訪問だったのですが、ある方の紹介で幼稚園とのつながりを作っていただきました。幼稚園としても、年長児以上の子どもたちとのふれあいを持たせることや、より異年齢での関係性を知るいい機会であったので、すぐにこの計画が進むことになりました。今回の計画にあたり小学校の先生と話をする機会を得たのですが、最近では小学校の教育でも自分で考えることを求める教科というのが増えてきているようです。そのため、今回の交流においても、あまり「何かをする」ということばかりを求めるのではなく、自然と幼稚園の園児と関わりを持ちながら触れ合いを大切に、ともに楽しく遊ぶようにしましょうと方針は決まっていきました。

 

当日、私も少しどうなるか不安な気持ちもあったのですが、そんなこと杞憂に終わり、小学生の子どもたちと幼稚園の園児との関わりは思った以上に楽しい交流となりました。特に小学校の先生が驚いたのが、学校でも少しやんちゃであったり、落ち着かない子どもが学校での様子とは異なり、園児との関わりがとても上手であったということです。割とこういったことは異年齢保育を行っている中でよく起きることなのですが、小学校の先生からすると新鮮であったようです。

 

それとともに「見て学ぶ」というのも意外であったそうです。カプラのゾーンで小学生だけがカプラを作っていました。はじめに「できれば園児と関わってほしい」と言っていたので、小学校の先生は子どもたちに注意をしてくれていました。すると、小学生の子どもたちは作っていたカプラを壊して片づけてしまいました。それを見ていた職員は「もったいない」と思ったそうです。その後、その小学生たちを誘って「みんなで作ってもいいよ。ぜひ、小学生だけしか作れないようなものを作って、でも、園児が仲間に入れと言ってきたら入れてあげてね」と話すと嬉々として作り始めます。すると、近くにいた女の子(園児)が興味があったのか小学生のほうに近づいてみています。そして、その後、その生徒にカプラを手渡す様子が見られました。生徒の子たちもその動きを無下にせず、無言ですがカプラをもらって作り始めます。きっと女の子は何かしらの刺激をもらったのだろうと思います。そのうえ、作っていた子どもたちも楽しそうでした。時として、こういったお互いの学びが見合うことを含め考えると見えてきます。

 

 

異年齢での活動は必ずしも触れ合うことだけが重要ではないと思っています。先ほどの例のように、子どもたちは見て学ぶということも日常の学びに起きるのです。大切なことはその姿をどう見るかということだと思います。関わ「らせよう」とするのか関わ「ろう」とするのかでは主体は大きく違ってきます。そして、様々な活動において「できるようにする」のを求めるのか「やろうとする」ことを求めるのかでも大きく違ってきます。乳幼児教育においては私はどちらかというと「できること」以上に「やろうとする」意欲や探求心、興味関心、好奇心といったことを育てることが大切であると思っています。そこが学校教育との大きな違いなのだろうと思うのですが、最近では「令和の日本型学校教育」というのが言われ、そこにはこれからの教育のことが考えられています。そして、これからの教育は「個別最適な学び」(個々の子どもたちにあった学習や指導)と「協働的な学び」(孤立した学びではなく、他者と協働しながら経験する)といったことが言われています。どうやら学校教育もこれからの教育において子ども主体のものに大きくシフトしていくことになるようです。そして、子ども主体の教育で重要な資質はこれまでの認知的なものと同時により非認知能力といわれるものが重要になってくると思います。そして、それらをいかに乳幼児期に育てて上げれるかが幼稚園のミッションになってくるのだろうと思います。

 

また、個別最適化であったり、協働的な学びは異年齢によってより増幅された結果になると私は思うのですが、これからどのように教育が変わってくるのかとてもワクワクします。そのうえで、今回の小学校2年生との交流は様々なことを考えさせてもらえる機会となりました。園児たちは小学校の子どもたちが見えなくなるまで手を振り、小学校の子どもたちはその日のうちに幼稚園にメッセージをくれました。地域との交流以上に、教育における連携と相互の理解の大切さを改めて考えさせられ、こういった交流は大切にしたいものだと思いました。