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2024年1月4日の日本経済新聞の一面に「科学力、世界上位復帰へ 集まれ異能 知のリーダー」という記事がありました。ここには現在日本が抱えている大学の教育における課題が載せられていました。ここでは特別な才能を持つ異能や変人を締め出してきた日本の変化を書いていました。いわゆる天才の扱いです。日本ではこういった子どもたちは非常に学校での生活は窮屈な様子であると紹介されています。
中学校3年生で探査機「はやぶさ」のイオンエンジンを2か月で作り上げた生徒は「授業が簡単な普通の学校になじめない。研究の話をする仲間を増やしたい」と言っています。電池性能を高める技術を開発した山内悠輔さんは日本の大学院で論文を20本以上書き、将来のノーベル賞候補にまで挙がったが、門前払いにあい、日本の科学界に絶望し、オーストラリアに拠点を変えます。すると、東京大学と競う名門大学がメール1通で教授に採用された。ということを紹介していました。
ここで山内氏を阻んだのが大学の講座制であったそうです。教授は若い異能との競争を避けて、結果の平等に甘んじたというのうです。講座制は米欧の知識に追いつくことを優先した昭和には機能したが、斬新な研究は生まれにくい。と、この記事には書かれていまいた。青木氏も山内氏も現行の教育現場では自分の能力をいかんなく発揮するというはなかなかに難しいことなのでしょう。結果、「公平・公正な競争を避け、平等主義に安住した末路が、科学力の没落だった」と書かれているのです。私は常々日本は平等を求め、公平性がないということを感じています。今の年齢別の教育の考え方もそこに当たると思っています。結果、先ほどの中学生のような生徒が生まれてしまうことになっているのではないでしょうか。天才が生まれない構造は平等にばかり目が向けられた結果のように感じます。
つづいて、記事には「高度な科学力を持つ国は異能をイノベーション(革新)を生む宝とみなす。米国ではノーベル賞物理学者の大半が21歳以下で大学を卒業する。異能や変人の知が共振すれば、革新が芽生える。変わった人こそ、社会に活力を生む源泉だ」としたのです。そして、革新を生む共振の場は生み出さなければいけないとも言っています。このことは社会全体で考えていかなければいけないことですね。これまでの保育や教育は均一なカリキュラムを与え知識を与えることを中心にしていました。しかも、その枠は発達によって違うのではなく、年齢によるものです。私はこれまでも学校のカリキュラムは年齢別ではなく、子どもの発達や理解度によって変えた方がいいのではないかと思っています。つまりは飛び級や留年を認めることの必要性を感じます。今の義務教育は「小学校六年生までに習得する内容を修める」ものではなくなっているように思います。在籍年でみられ、内容の習得が目的ではなくなっているため、様々な問題が起こっているように思います。
子どもの主体性ということが言われていますが、それは大人が決めた枠組みの中に子どもを当てはめるのではなく、子ども自らが自分で進みたい道を選択することだと思います。そして、大人はその選択肢を用意し、環境を整え、支援することがこれから求められてくる教育や保育のあり方なのだろうと考えています。とりわけ、今回の記事の内容は保育や教育の環境を改めて考えさせられる内容でした。
2024年1月10日