Number 29
投稿年月日 2017年6月3日
題名 道徳
内容 教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹さんは「道徳教育をどんなに強化 しても、いじめの克服には役立たない」と強調しています。
投稿者 副園長 邨橋 智樹 

2017年6月号 道徳

巻頭言

最近、小学校や中学校で道徳教育の強化が叫ばれています。しかし、その反面、その効果が それほど功を奏していない現状も問題視されています。

 

道徳の教科化については「国による価値観の押し付け」との批判が根強いが、文科省の教育課程課の合田哲雄課長は「押し付けとは対極だ」と反論しています。

 

「いじめを見たら傍観者にならないことが大事。一方で友達をと ことん信用することも大事。一見衝突する価値について考え、議論するからだ」と言っていま す。

 

これに対して、教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹さんは「道徳教育をどんなに強化しても、いじめの克服には役立たない」と強調しています。 「いじめがいけないことだとわか っていない子どもは一人もいない」というのが尾木さんの持論であり、「いけないことだとわ かっているのにいじめてしまう心理や、格差や子どもの貧困といった社会的な背景を考えることが重要で、いじめ問題を道徳に封じ込めたらだめ」と言い切っています。

 

また、道徳の教科 化によって「評価」することになり、高い「評価」を得ようと「良い子」を演じようとする子どもたちがこれまで以上に増えることを懸念しています。
そして、道徳の中の大きな基準となるものが「共感」と「公平性」です。公平性は例えば 「私は人より働いたのだから、人より多くほしい」といった合理的な解決策を提示することです。

 

しかし、それを理解してもらうためには相手に「共感」してもらわなければいけません。 相手の立場に立てば、自分の欲望だけが特別でないことはすぐに分かるからです。共感と公平性は、多くの場面で、お互いに補強し合います。共感を働かせれば、自分は特別ではないと気付くのです。それが公平性の原理の概念を支え、私たちを、これからも他者の身になろうと動 機づけることになるのです。こういった共感や公平性といったものは果たして教科にすることで育むことができるのでしょうか。

 

共同体の中で生まれた能力であるのであれば、その力は集団や共同体の中でこそ、育まれるものであると思います。

 

また、いじめだけにとどまらず、最近では社会の希薄化やご近所トラブル、衝動的な事件と、 どうも「道徳」というものが子どもだけにとどまらず、社会的にも問題になっているように感 じます。

 

こういったトラブルや苦情、寛容性の欠如など様々な問題は共感と公平性に欠けていることに原因があるのではないかと感じます。

 

それが道徳意識の低下をもたらしているとしたら、子どもたちに改めて道徳を教科化するよりも、大人、年配者、社会を作る大人も含めて、 もう一度道徳を考えたほうがいいかもしれないと思います。