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子どもの参加

副園長のコラムcolumn日々考えること

今朝のニュースで、子どもを預かる乳幼児施設での不適切な保育がニュースになっていました。これは子ども家庭庁での全国調査で2022年4月から12月の間で保育施設全体で起きた数が1316件あったことが調査から分かったことでした。そのほとんどが保育所で起きたでのことのようですが、それらの内の122件が虐待であったそうです。では、その「不適切な保育」というのはどういったことが言えるのでしょうか。NHKの「首都圏ナビ」の記事によると「不適切」というのは「子どもの人格を尊重しない」ものを指すようですが、これについて明確な定義はなく、保育施設への調査では園ごとの回答にはバラつきがあったようです。ただ、子ども家庭庁は今回の調査を受け、「不適切な保育」とは「虐待などが疑われる事案」と定めるとともに防止や対策についてのガイドラインを設けることにしたそうです。

 

この「虐待」については、これまでも国連での子どもの権利条約で日本がずっと勧告を受けている事案です。この勧告について、多くは家庭でのことを指しているという事だと思っていたのですが、昨今の体罰のニュースなども見ると、問題は家庭だけにとどまらず、教育機関、今回の保育機関においても、こういった不適切な子どもの関わりは日本の大きな問題であるということが分かります。そして、この記事でも、朝のニュース番組でも同様のことが言われいたのですが、その一つが、子ども1人に関わる人(先生)の数といった人員配置における余裕を持った人員配置の問題でした。確かに子ども一人一人に適切な対応を行うためにはそれだけ細やかに対応する人が必要になります。じっくり関わり、話を聞き、共感することが重要になることはとても重要な保育の一環でもあります。そのため、心のゆとりを持つことが必要で、そのために働き方という面で、人員を確保するということは非常に重要なことであると言われています。私もそのことにはとても共感しますし、最近はシフトなどの問題もあり、単純に各クラスに○○人というコアな時間だけの人数だけではいけないということも見えてきます。ただ、それと同時に、日本の子ども観ももう少し変えていく必要があるようにも思います。それが「参画」です。

 

これはドイツに2011年に海外に研修に行った時に聞いた話であったのですが、この「参画」。どういったことを指すのかというと「子どもも教育や保育計画に参加する」ということを指すそうです。つまり、保育活動のなかで何をするのかといった計画に子どもも参加するというのですが、この「参加」ということはしばしば勘違いされてしまいます。これに似た話で過去に保育所保育指針や保育要領の改訂で「子ども主体」ということが言われるようになった時に現場は混乱しました。「子ども主体といえば、子どもの言う通りにしなければいけない」という解釈になったのです。しかし、これではルールもない放任になってしまいます。つまりは今回の話同様に、「子どもに全部任せる」のではなく、うまく調整する必要があり、「決める主体は誰?」という話になります。これと同じで「参画」においても、「子どもが計画を決める」ということとばかりが取り上げられる解釈になってしまうことがありますが、これは誤りです。また、その逆で、「子どもたちが計画にはいっていても、大人が決めてしまう」ということも当然参画にはなりません。そこに必要なのはどちらの意見も聞きながら、調整し計画を進めていくということです。この点において日本は非常に遅れていると言われています。

 

以前ブログに年長クラスの先生がお泊り保育の夕飯を参加する子どもたちと話し合って決める話を紹介しましたが、こういった子どもと一緒に決めていくということが参画であると思っています。それぞれの価値観を聞き、調整し、話し合いを通して答えを「みんな」で見つけていくということが、子どもの人格を保障するということであったり、これからの教育現場や保育現場には必要になってくるのだと思います。このような意味でとらえると、今の教育現場のカリキュラムが詰め込まれている環境というものも人数同様に余裕をもって活動できるものに考えていかなければいけないのと同時に、その活動の「芯のねらい」はどうなのかという事をしっかりと洞察していく必要があるのだろうと思います。