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投稿日時 2022/9/28

実習生

副園長のコラムcolumn日々考えること

ここ数日間、実習生がたちばな幼稚園で実習を行っています。実習生の生徒たちは当然、保育者になるために学校から派遣されている保育者の卵です。そんな実習生ですが、毎日、日誌を書いたり、設定保育を行うにあたって、計画用紙を書いたりと、割と忙しく、私も学生のころは必死になって寝不足になりながら毎日日誌を書いた覚えがあります。

 

実習するにあたって、受け入れる園としては当然、保育者になるための指導をしていかなければいけません。そして、実習を始める前に、オリエンテーションを行い、園の様子の紹介や実習における説明を行うのですが、その時に私は実習生に必ず伝えることがあります。それは「実習を楽しんでほしい」ということと「子どもの存在をどのように見るのかを保育者から学んでほしい」と話するようにしています。それらが保育士になるにあたって非常に大きな意味があるからだと思っているからです。決して、保育者の実体を知ることがすべてではないのかなと思っています。

 

まず、初めに「実習を楽しむ」という事ですが、近年、保育者不足というものが深刻化していますが、そんな中でも実習生たちは「保育者になる」といって夢を持っている実習に来ています。そんな中、現場の忙しさやつらさを知ったとて、現場の仲間になることにつながるのでしょうか。これらのことは現場に入れば、肌で感じることになります。先に知ることは結果として、「この仕事は楽しい」よりも「この仕事はしんどい」という事ばかりがクローズアップされてしまいます。事実、過去にそういったことを感じて保育者になることをあきらめそうになっていた先生もいました。しかし、こういうと「保育者という責任ある仕事であり、その重要性やつらさはどう教えるのか」という意見を言われることがあります。しかし、つらさを先に知るよりも、楽しさややりがいを知っていた方が仮に大変な部分があっても立ち向かえるのではないかと思っています。「夢があるから頑張れる」のであって、「頑張ったから夢がかなうのではない」と思うのです。そのためには、実習で「やりがい」や「楽しさ」をより感じ、見つけてほしいと思っています。

 

そして、その次に「子ども観」です。これもなかなか重要なことだと思っています。これは「子どもの主体性の理解」ということにも繋がりますが、まだまだこの保育という世界は「大人が子どもを指導する」ということが文化としてあります。しかし、その一方で「子ども主体」というものが最近ではよく言われているのですが、この二つの事柄は矛盾しており、そのことに戸惑うことは保育者でも起きています。ただ、たちばな幼稚園で行っている保育は子ども主体の保育に大きな意味を見出しています。それはこれからの社会のために必要な力だと思ってのことなのですが、なによりも今いる子どもたちがイキイキと主体的に活動していることこそが、子どもにとって発達や成長に良い影響があると思っているからです。そのために、大人が子どもの生活を支援し、環境を用意することで子どもの主体的な活動を保障することが大切だと思っています。これは幼保連携型認定こども園保育・教育要領にも書かれています。そして、「子ども主体」ということを理解するためには「子どもがどういったことをしたいのか」「どういったことを求めているのか」を知る必要があります。そして、そのサインに対して「応答的に関わる」必要があります。それは子どもに対して指導すると見えてはきません。指導というのは、子ども主体ではなく、大人主体であるからです。そして、それは子どもと関わっていく中でしか得られないものだと思っています。だからこそ、実習期間の間に、子どもたちと関わって、遊んで、一緒に考えたり、楽しむという体験を多くしなければいけないのだと思います。ある先生が「指導は簡単、子どもの先を見て、環境を整え、子ども自ら動かすことこそが保育」というのを過去に聞いたことがあります。

 

こういった子ども理解を実習を通して、学んでほしいなと実習生の記録や設定保育を見学させてもらって感じます。