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中国からの見学

副園長のコラムcolumn園からのお知らせ

今日、中国の方々の見学がありました。これまで海外からの見学では子どもたちの様子以上に園の方針や環境ばかりを見られることが多かったのですが、今回はかなり子どもたちの様子を見ていました。しかも、幼児クラスではなく、乳児の子どもたちの様子を中心にみられ、乳児の保育にかなり関心があるという様子が見られました。というのも、いま中国では乳児期の保育への関心が強くなっているようです。

 

中国ではこれまで、乳児期の子どもたちのお世話は保育施設に預けるというよりは、祖父母が保育を行い、保護者は仕事に行くということが当たり前に行われていたようです。しかし、昨今では保育への関心も深まり、乳児期でも子どもを預かる施設が増えてきています。話の中で多くあったのが、中国では乳児に対する保育はかなり手厚いようです。その根底には保護者の要望がかなり強くあるようで、子どもに対して保育者はかなり「やってあげる」ということが求められているという話を聞きました。そのため、たちばな幼稚園で行っている保育を見学してもらう中で「保護者からのクレームはありませんか?」という質問は多くありました。

 

たちばな幼稚園では子どもたちが自らやろうとしている意欲を大切にしています。ちょうど、見学者が来ているタイミングでくるみ組の子どもたちが散歩から帰ってきた場面がありました。子どもたちがいったん部屋に入り、その後、おむつを替えて、食事に行きます。その際、先生は子どもたちの着替えで、ズボンを全部上げる子もいれば、半分までで止め続きを子どもが自ら履くようにすること、ズボンをはきやすいように置いておく子と対応を変えていたことに質問がありました。中国ではほとんどを保育者が履かすようです。一方で、幼稚園の先生は子どもたちの様子から対応を変えます。そして、その時々によって子どももできる時とできない時があるので、子どもとのやり取りの中で先生がたは応答的に関わっていました。それは子どもにあった活動を行うことで、自ら成長すると信じており、意欲をもってやろうとする姿に対して保育者は指導するのではなく、支援しているからです。この姿の違いの根底には中国と子ども観の違いにあるように思います。

 

日本でもこれまでは「子どもは白紙で何もできない存在として生まれる。だから、大人が白いキャンバスに絵を描くように子どもたちに色々と施していかなければいけない」といった白紙論が中心でした。今回の中国の見学者の方々が現場で求められている保護者の要望はこの考えに近しいものを感じました。しかし、昨今の保育論ではそれは否定されています。「子どもは自ら育つ力を持っている」ということが言われています。実際、幼稚園の子どもたちの食事場面を見て、子どもに合わせることが混乱をきたすかというと全くの逆で中国の方々は口々に「すごく静かで、子どもたちが自分で進んで食べている」ということに驚いていました。

 

私は「やってあげる」ということが悪いこととは思いません。しかし、子どもが求めてもいないことを「やってあげる」ということはお節介になるということを忘れてはいけないのだと思っています。そして、そのお節介は子どもの自然な発達を歪めてしまうことにもなりかねません。自らやろうとしている子どもの姿を信じサポートすることが保育において大切なことなのだろうと中国の見学者の方々との話の中で改めて感じました。