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投稿日時 2024年8月1日

自律的な力と乳幼児、そして個別最適化へ

副園長のコラム

個別最適化の学びへの変化はAIなどの進化によって社会での必要とされる力の変容により、学習の中で学ぶ本質がこれまでと変わってきているということがあることや、これまで均一化された教育の形態で取りこぼされてきた子どもたちの能力を個々にしっかりと見ていくという多様性の問い直し。それに伴う教師の質を上げることに対して、マニュアル化され同調圧力があるものではなく、むしろ教師の自律性を尊重し、画一的な学びにならないようにするということを奈須氏は言っていました。

 

しかし、こういった流れを理解できても、なかなか自分たちが受けてきた教育形態から変わっていくことに抵抗される方も多いように思います。これまで幼稚園の保育を変えはじめたころも、これまでの先生が活動をコントロールする一斉保育から自分が選択していくことを中心とした選択制の保育に対して懐疑的な保護者の方は多くおられました。また、自分で選ぶことができる教育ということを出すと必ず出てくる意見が「子どもに主導権をゆだねると何を学ぶかわからず。学習が停滞するのでは?だから、教師が基礎基本を教えて学び方を教える必要がある」という意見です。

 

この意見に対し奈須氏は「こういったこと(学びを自分からできない)が起きる子どもの実態はそれまでの自分たちの指導結果が表れていると捉えてはどうだろう?」と話しています。これはどういったことかというと、「これまで指導として懇切丁寧に教師が基礎基本を教えたことが、必要なトライ&エラーを繰り返す機会を奪ってしまっているという見方もある」と示しています。自律的に学ぶためには当然、自分で学ぶことや何を学ぶかを自分で決めることができる力は必須になってきます。つまり、「自分で決める」という経験を多くしていかなければいけないのです。大人がすべてを決めることがこれまでの「丁寧な保育・教育」といわれていました。しかし、これからの学校教育のみならず、社会に必要となってくる力においては「自分で決める機会を作る」ことが学ぶ力の基礎として重要になってくるのです。自分でやりたいことを試す行動は赤ちゃんでも行っています。それを大人が止めるか認めるかということが重要になってきます。よく私は「『いたずら』は大人にとっては悩ましいものですが、子どもにとっては『実験』だと思います。」と話しています。とはいえ、それらをやらせればいいという話ではなく、それを見たときに「ダメ」と単に決めるのではなく、そういったことができるおもちゃであったり、環境を作ることが保育ではないかと思っています。教えることがすべてではないのです。「じゃぁ、どうしたらいいのか」を一緒に考えることが大切に思えます。

 

続けて奈須氏は「自律的に学ぶ力は先天的なものではなく教育によって獲得される後天的な能力である」と言っています。そして、「大人から見ると稚拙で要領が悪いと思っていても、その子なりに見通しをもって、自分で選択し、判断し、自分のペースで自分の学びを作っていく学習経験の積み重ねによって、自己肯定感を伴いながら自律的に学ぶ力が養われている」と話しています。

 

そう考えると今幼稚園で行っている「選択制のある保育」や「子どもを見守る」というものが、いかにこれからの学校教育においても、必要なことを今しているのかということがわかります。それと同時に、このような「個別最適化の学び」というものは何も小学校での教育のみならず、乳幼児教育においても同時に起こっており、重要な意味があるということもわかります。むしろ、小学校から変えていっても遅いのかもしれません。しっかりと、先々の教育の変化であったり、社会の変化をいかに見据えていかなければいけないのかということをあらためて感じました。