タイトル 小学校と幼稚園
内容
投稿日時 2024年7月23日

小学校と幼稚園

副園長のコラム

先日、幼稚園に近隣の小学校の所属する先生方全員が二日に分けて見学に来ていただきました。この話は当園の園長が地域のコミュニティスクールの会議に出た際、小学校側から「これからの教育の変化のため、より幼稚園の保育の様子を知りたい」からという要望から今回の見学につながりました。

 

というのも、現在門真市の教育は大きく変わろうとしているようです。2024年3月の門真市の広報誌にこのように書かれていました。「学校の授業のあり方も、『みんな一緒に』『みんな同じことを』『同じ方法で』学ぶ一斉授業のスタイルでの学びから大きく転換を図っていく必要があります」と書かれていました。これは日本の令和型教育の中にある「個別最適な学び」と「協働的な学び」に向かって教育改革を行っていくことを門真市が今後起こしていくからです。そのため、たちばな幼稚園に見に来るにあたっては特に「子ども主体の学び」の部分、「子どもが考える姿の視点」、それらを保育者はどのように取り組んでいるのか、環境からのアプローチというのはどのように行っているのかという事を中心に見学を行いたいという事をおっしゃられていました。

 

我々としても、小学校の先生方と共に子どもたちの教育や保育を連携していけるというのはとてもありがたいことです。これまでも、巻頭言などで取り上げてきた「society5.0」の内容にいよいよ門真でも舵を切っていくというのを感じました。今後、門真市の教育改革というのは日本においてもかなり注目されるものになるかもしれませんね。

 

また、こういった変革の起きる時期において、乳幼児教育の影響とはとても大きいと私は考えています。たとえば、「個別最適化」という点においては、まず学習において意欲的でなければいけません。「学ぶ」という事に能動的でなければいけないと思います。では「学ぶ意欲」とはどのように育んでいけるのでしょうか?それは「勉強しろ」と子どもたちに指導したからといって育まれることはありません。むしろ逆効果になってしまいかねません。私たちが今行っている「藤森メソッド」(見守る保育)の「見守る三省」にこのような記述があります。「子どもの存在を丸ごと信じただろうか」この言葉には「子どもは自ら育とうとする力がある。その力を信じ、子どもといえども一人の立派な人格を持った存在として受け入れることによって、見守ることが出来る」という事を表した言葉です。子どもにはそもそも自ら育つ力があるというのです。

 

まずは、子どもを取り囲む大人自体が子どもたちが自ら学ぼうとする存在と信じ、自ら学ぼうとする環境を整えてあげることが重要なのだろうと思います。私は常々、。日本人は学ぶことが好きな民族だと思っています。それは世界中を見てもこれほどクイズ番組を毎日のように放送している国はないように思うのです。学校においても、クイズとまではいかなくとも、学ぶことの楽しさ、知ることの楽しさ、学んだ知識の活用といった学ぶ意図を感じられるような学びを積み重ねてほしいと思います。そのためには「そもそもなぜ学びや教育が重要なのか」といったところから教育や保育を考えていく必要があります。学習とは何なのか、学ぶとは何なのか、大人自体も答えをもたなければいけませんね。