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投稿日時 2024年9月4日

始まりの違い

副園長のコラムcolumn日々考えること

先日、このブログでも取り上げていた「『個別最適な学び』と『協働的な学び』の一体的な充実を目指して」を著した奈須正裕氏の研修を受ける機会があったので、さっそく受けてきました。個別最適化や協働的な学びがなぜ必要かというのはこれまでのブログの中でも紹介していきましたが、そもそも乳幼児教育と学校教育の歴史的な違いというのも紹介されていて、非常に面白かったです。

 

というのも、乳幼児教育はその始まりは基本的には福祉から始まっています。その一方で、学校教育というのは根底は乳幼児教育のように「子どもを育てる」ということが目的ではなく、「国民を作る」ということから始まっています。全国から優秀な人を育て、登用することが目的になります。そのため、成績が悪いとふるい落とされます。あくまで、人を育てるというのは国のためであったのです。

 

今の学校教育の形態、教師が子どもたちに一斉に学習を施すという形は西洋の学習形態からとられており、西洋文化が流入してきた明治期に始まります。世界に向けて日本が発展していく時代です。その時代に向けて優秀な人材を育てることが目的になってきたというのは学校教育の始まりです。それ以前は寺子屋のようないわゆる「個別指導」の教育が日本では行われていました。では、なぜ個別指導が次第に一斉指導に変わってきたのかというと、その方が「効率的に子どもたちに教えられるから」です。そもそも一斉保育はイギリスではじまったのですが、その頃イギリスはお金がありませんでした。そんな中、大きな国民国家を育てるために、人を多く育てるために効率よく教育するために始まったのが一斉指導といった教育形態でした。

 

結局この「効率的に」ということが、子どもたちに一律に知識を伝えるところに至ってきたといいます。そして、どれだけ覚えたかということが成績になるのです。つまり、認知的な能力が中心になるのです。一方で乳幼児教育の祖といわれるフレーベルが「人間の発達の連続性を主張し、この立場から子供の共感的理解と、それに基づく教育を擁護し、早教育に反対した。」とあるように、始まりから子どもの発達や自ら学ぶことの保障に大元があります。

 

時代の変革とともに、今の時代は教師だけの知識だけではなくとも、様々なツールを使って知識を得ることができます。奈須氏が言うにはこれまでの単純な授業であったら、学校に行かなくてもYouTubeで受けられるようになるとも言います。確かにYouTubeやインスタグラム、様々なツールで学びたいものを自分で取りに行くことは簡単にできるようになってきています。これは逆にこれまでの知識を覚える授業の終焉とも言えるように思います。これからの社会では、「知識を覚える」ことよりも「知識をどう使うか」や「知識をどのように得ていくか」ということの方が重要になってくる時代になってきます。

 

こんなことも言っていました。「子どもたちは先生の都合で教えられるのはうんざり、自分の都合で学んでいきたい」この言葉は保育においても、心にとめておかなければいけないように思います。