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投稿年月日 | 2015年6月10日 |
題名 | 子どもの力 |
内容 | 「発達の連続性」について |
投稿者 | 副園長 邨橋 智樹 |
保育をしていく中で、子どもたちは色々な姿を見せてくれます。それは体の成長から遊びの変 化、友だちとの関係など、見えてくる様子は様々ですが、数か月前と比べるとその様子が大きく違 うというのはよくわかります。
子どもたちの育ちを見ていくと、そこには必ずといっていいほど、ある一定の成長の道筋があ るというのがわかります。それを私たちは「発達の連続性」と言っています。たとえば、 「歩く」 といっても、そこに至るまでには様々な体の発達がなければ「歩く」ことはできません。寝返り、 ずり這い、ハイハイする、つかまり立ちする、伝い歩きをする。そして、歩くそのプロセスはどの 子どもたちにとっても通る発達の道筋です。そして、それぞれには意味があります。たとえば、ハ イハイは足腰を鍛えることになります。そして、それは将来子どもたちが歩き始め転んだときに 手を付くためだとも言われています。最近、走っている子どもたちが頭から転ぶことが多いとい うのが問題になりました。それは大人が十分にハイハイの時期を遂げさせず、すぐに立たせてし まっているからではないかとも言われています。
そんな中、つくし組の子どもたちを見ていて、こんなことがありました。昨年度、ある男の子が ジャングルジムに上っていました。1段目、2段目と上っていく様子を見て、すぐ助けられる位置 にいながら、保育士は声をかけず観察していました。その男の子は2段目ほどで降りてきました。 それが数日続き、その数か月後、また、その男の子は3段目まで上って、降りてきました。また、 数か月後やっと一番上まで上り、とても満足そうにほかの保育士に声をかけていました。その男 の子が自分で降りてきた様子を見ていると、その男の子は自分ができる高さをしっかりと認識し て、できると思ったときに上っているというのがわかります。そのため、保育者が近くに危機管理 のためにいたのですが、そこ男の子は危なげなく、慎重に上っていました。このように子どもたち は本来こういった能力を持っているのでないだろうかと思います。
そして、これは今回の話のように運動機能だけではなく、子どもたちの遊びや生活においても 同じことがいえるように思います。
子どもたちの様子を見ていると一見意味のないことや無駄なことをしているように見えること もあります。しかし、それはきっと将来のために必要なことを試して、学んでいるに違いありませ ん。それを大人が良かれと思って、手伝うことややってあげることは子どもたちの可能性を逆に 阻害していることも多くあるように思います。
つくし組の理念の横に「見守る三省」というものがあります。その中に、 「子どもの存在をま るごと信じただろうか」とあります。それは子どもたちの力や能力を信じ、発達を保障していこ うという願いが込められています。子どもたちの発達は飛躍的に変わるものではなく、突然その 発達が表れるわけではありません。表面的には発達が止まっているように見えても身体や精神は 常に変化し続けているのです。そして、その時期における行為を保障していくことが大切です。 それが「今をより善く生きる」ことで、 「望ましい未来を培う力となる」という保育所保育指針 や幼稚園教育要領にのっとった保育になると考えています
2015年6月10日