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投稿日時 2022/8/8

子ども主体

副園長のコラムcolumn日々考えること

7月の頭にとある4年制の保育系の大学で、次に幼稚園実習を控えた生徒たちにたちばな幼稚園で行っている保育の紹介をしてきました。毎年、今回お願いされた学校からはオファーを貰い、今年は2回目の発表だったのですが、ありがたいことに生徒からの講義の感想シートにはびっしりと感想が書かれており、ポジティブ内容が多く、自分たちが行っている保育を伝える中で、生徒たちにとっていい経験になってもらえたことをうれしく感じています。

 

そんな生徒たちの書いた内容の多くは幼稚園でおこなっている「異年齢での保育」や「選択制を設けた保育計画」「チーム保育」に関するものが多くありました。それと同時に、未だこういったイメージを持たれているということも同時に知る機会にもなりました。それはある生徒の感想ですが「私は、保育園に比べて、幼稚園は教育的要素が多く、主体性を育むことが少し難しいのではないかと考えていました」とあったのです。多くの人は割とそういったイメージを持ちがちなのかもしれませんね。確かに今でも、一日の活動を保育者が立てた保育計画通りに行う園もあります。

 

この感想を見て昔、知り合いの幼稚園で働く保育者との話の中で「主体性」について議論したことを思い出しました。その先生は「子どもたちをいかに『やりたい』と思わせるかが保育者の腕の見せどころではないか。そのために保育者のスキルにおいて子どもに活動を知らせるときのプレゼン能力が腕の見せどころ」だと話していました。確かに子どもにとって魅力あるものを提示するということはとても大切なことです。しかし、プレゼンであったり、子どもに経験するように仕向けることが保育者としての仕事なのかというと疑問を感じました。果たして、それが子どもたちにとって「やりたい」といえるものなのか。そして、それが「子ども主体」といえるのか、もしかすると、「やりたい」という言葉に誘導していないかとも感じたのです。

 

これと似たようなことで良く聞かれることがあります。「いやなことを頑張ってすることも大切ではないか」。確かに「粘り強く頑張る」ということは大切です。しかし「自ら選んで頑張る」ことと「やらされて頑張る」こととは大きく意味合いが違ってきます。大切なことはやることに本人が意味や意図をもってやらないと身につかないのではないかと感じます。そして、こういった子どもの動きが「子ども主体で動く」ということなのだろうと思うのです。

 

割とこういったことは学校では教えることが少なく、どうしても「保育」という学問を教える場が学校であるだけに、「主体性が大事」とは教わっても、それがどういったことなのかといった実体験や実践を知るという機会は少ないのかもしれません。そして、こういった帆いうの面白さを伝える機会というものは実習でしか生徒に伝えられないことも多いのだろうと思います。そのため、こういった機会を大学からいただき、話をさせてもらえたことは生徒に保育を紹介することだけではなく、自分の進めている保育を振り返る機会にもなります。感想の中には」「より保育士という仕事がどれだけ奥深く、魅力的なものなんだろうかと改めて感じました」と書いてくれる生徒もおり、こういった思いを持った先生たちが現場で働いてくれることにすこしでも役に立てた事を嬉しく思うことができました。