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投稿日時 2021年4月16日

気を紛らわす

副園長のコラムcolumn日々考えること

先日、保育室を見にフラッと行ってみると、保育者に抱っこされながら泣いている男の子がいました。先生がかわるがわる抱っこしたり、お話していたのですが、なかなか泣き止まず、先生たちも忙しそうなのでゆっくり関わることが出来ない様子でした。

 

その男の子に対して、ちょっと話を聞いてみました。

私:「どうしたの?」

男の子:「おかあさんがいい」とのこと。

 

私:「じゃあ、お母さんが見えるかもしれない道路の見える場所に行ってみる?」と言っても、泣き止まず、男の子:「あっち行って」と言われてしまいました。それでも誘ってみると、気が紛れてきたのか、ちょっと行く気になってくれました。

 

道路の見える場所に行くと

私:「お母さんとは何できたの?」

男の子:「自転車」

私:「何色の自転車?」

男の子:「青色」

と話してくれたので、「青色の自転車を見に行ってみない?」と話をすり替えて絵本の部屋に移動しました。絵本の部屋で自動車の絵本や動物の絵本をパラパラと見ていると、初めは「違う!」と主張していた男の子も、「あ、鳥いたねー」といろいろなところに目線が向かっていきました。そうこうしているうちに、「あ、おばけの絵本」といってお気に入りの絵本を見つけました。その絵本をもって部屋に戻ることを提案すると、今までお母さんのことを思って泣いていたのが嘘のように、絵本を大事に抱えて部屋に向かっていました。結局、最終的にはその絵本すらどこかにおいて、お友だちと遊び始めた男の子でした。

 

このように子どもたちの気持ちの切り替えというのは、次の活動にいくにあたって非常に重要な力です。今、こういった気持ちを切り替えるといった感情をコントロールする力が注目されています。

 

アメリカの故ウォルター・ミシェル博士によって進められた研究に「マシュマロテスト」というものがあります。保育園や幼稚園に通う年齢のこどもを対象にしたものです。実験者は子どもと少し遊んだ後、子どもに「幼児があるので部屋の外に行くけれど、もし何かあったらベルを鳴らして私を呼んでね」と告げます。そして、子どもにベルを渡して部屋を出ます。そのとき、子どもは2つの選択肢を提示されます。マシュマロ1つの選択肢とマシュマロ2つの選択肢です。実験者は、子どもに自分が部屋に戻ってくることを待つことができれば、マシュマロを2つもらえることを告げます。また、実験者が部屋に戻ってくるまで待てないと思ったら、ベルを使って実験者を呼んでもいいこと、しかし、その場合マシュマロは1つしかもらえないこともあわせて告げるといったものです。この実験の過酷な点は、実験者が戻ってくるまで10~15分もかかることです。子どもは、自分の目の前に魅力的なお菓子があるのに、それを食べたいという欲求をコントロールして、10分程度待ち続けなければならないのです。

 

この実験が何を調べているのかという事ですが、このマシュマロテストに参加した子どもたちが青年期になったときにどういったことになるのかという事をミシェル博士は調べました。ミシェル博士らは、マシュマロテストに参加した子どもたちを長期的に追跡し、目の前のマシュマロを食べたいという欲求をコントロールできた子どもとできなかった子どものその後の成長にどのような違いがあるかを調べました。すると、幼児期にマシュマロテストの成績が良かった子どもは、そうではなかった子どもに比べ、青年期の学力や対人スキル、問題が起きたときの対処能力などが高いことが示されました。さらに欲求をうまくコントロールできた子どもは、青年期ストレスにうまく対処できることもしめされています。青年期と言えば、友だち関係に悩んだり、いじめにあったり、受験のストレスがあったりと、決して楽な時代ではありません。大変な青年期を乗り切るために、子どもの実行機能が役に立ったといいます。

 

そして、このマシュマロテストで待てた子どもというのは、マシュマロに固執せず、他に目を向けたり、歌を歌ったり、中には寝てしまった子どももいたようです。つまりは、マシュマロから気をそらしたのです。

 

前述で私が関わった子どもの様子からも、「おかあさん」という固執する姿から、目をそらしたり、気をそらすというのは保育をしていく中でよく保育者も使います。それは単純に子どもの気持ちをそらすというだけではなく、子どもたちが大人になったときに自分の感情のコントロールができるようになるためのプロセスでもあったのです。そして、そのためにはしっかりと子どもと向き合って、気持ちを受け入れてあげることも重要になってきます。幼稚園ではこういった子どもとのやり取り一つ一つが未来に向けた能力をつけているのだと感じると、改めていい仕事だなと感じました。