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2021年8月 気づかされたもの

巻頭言

先日、大阪総合保育大学で特別講師として、学生に話をする機会がありました。そこでは、今、たちばな幼稚園で行っている保育の内容を幼稚園の環境の写真を使っての説明や自分が保育士になった時の苦労や疑問、今の保育を始めたきっかけを話したのですが、その話の中で、感想や質問をもらい、心強くも、ありがたい言葉をたくさんいただきました。また、それと同時に、考えさせられる内容の感想もあり、今、行われている保育や教育における矛盾や難しさなんかも、感じる機会となりました。

 

そんな学生の感想の中にはハッとさせられるものも多く、たとえば、「私が子どもの頃にできなくて怒られるという経験をたくさんした覚えがある。異年齢保育をすることで子どもひとり一人にあった保育を行うことが出来るのでとてもいいと思った。」というものです。こういった経験はたくさんの人がしているかもしれませんね。つい、どうしても他の子どもと比較したり、心配になるがゆえに、子どもに要求してしまうことが多くなってくることがあるかもしれません。しかし、子どもの発達にあったものであれば、無理なくできるのではないかと思います。そして、「面白いもの」はもう少しでできそうなものが一番の発達にあったものであると考えています。しかし、その「子どもに合ったもの」を提供することは非常に難しいのです。だからこそ、幅の広い発達の環境を用意する「異年齢」や自分の発達にあった「選択」をすることを行っています。こういったことを通して「子どもに聞く」ということで子どもに合わせていくことが重要になりますし、自園でもこの観点から保育を考えています。これは子どもの権利条約の第12条「子どもの意見の尊重」においても言われることです。

 

これは「子どもにも意見を表明する権利がある」という事を言っています。つまり、様々なことに、子どもの意見を含め子ども自身を参画させることが必要であるという事を言っています。しかし、これは子どもの意見をなんでもかんでも聞けばいいということではありません。あくまでも「表明する権利」があるということであり、その意見を含めて考えることが重要であるということです。このことが日本ではまだできていないということが国連からも言われています。だからこそ、たちばな幼稚園では子どもの活動に「選択」という子どもが意見を言えるような環境を作っています。

 

また、このことについて他の生徒から質問がありました。「発達に合わせた保育を行っているとのことですが、卒園時に発達の差などが大きくなることはないですか?」とありました。とても鋭い質問です。確かに子どもの言いなりになるだけだとそうなってしまうかもしれませんね。しかし、だからこそ、異年齢で様々なモデルを見ることやいろんな発達の子どもと触れ合うことが重要だと思っています。そして、自ら主体的に選ぶ環境を用意することが重要だと考えています。「年長児に憧れる経験や年少児に見られる経験」で感じることは大人が「こうなりなさい」ということよりも想像しやすく感じやすい。そして、自然とその意識を求められます。異年齢にして感じることは、年長児が自然と「年長児」になっていくという事をとても感じます。大切なのは今の自分を信じ、「自己肯定感」や「自信」を持つことが結果として社会につながる力の育成になると思います。その力は次への原動力になります。そして、個々人の人格を尊重することもこれからの社会では必要なことであると思っています。大切なのは社会に向けて力をつけることです。生徒からの感想や質問は私にとってたくさんのことを気付かせてくれる機会となりました。

邨橋 智樹