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投稿日時 2022年5月26日

遊ぶ環境

副園長のコラムcolumn日々考えること

園内を歩いていると、芝生で1歳児の子どもたちが遊んでいました。子どもたちの遊びを見ていた男性の先生が、子どもたちが興味を持つだろうと芝生に黄色鉄棒を出します。子どもたちは物珍しそうにそれにぶら下がって遊んでいます。はじめは子どもたちは黄色鉄棒にぶら下がるのですが、高さが低く、ぶら下がっても足がついてしまいます。そこでそれを見た先生はもう一段高い鉄棒を用意しました。そして、その鉄棒でぶら下がって見せます。それを見て子どもたちは真似をしようと遊びます。その後、子どもたちが触る鉄棒は黄色鉄棒ではなく、赤い鉄棒の方でした。どうやら子どもたちにとってはやはり黄色鉄棒よりも赤い鉄棒の方があっていたのですね。

 

よく「発達にあった遊び」や「発達に合ったオモチャ」「発達に合った環境」という言葉が出てきますが、それはどういったものを指すのでしょうか。私は今回の先生が行ったようなことが一つの答えであるように思います。つまり、子どもたちが遊ぶもの、興味あるもの遊び込むものが「発達に合ったもの」といえると思うのです。それは「遊ばせる」ものでもなく、「遊びたくなるもの」であると考える必要があります。もちろん、遊び方を教える必要はありますし、今回の先生のようにモデルを示すことは必要になります。しかし、それはあくまで「きっかけ」であって、それをするかどうかは子どもに選択肢があるということを忘れてはいけないのでしょうね。

 

その後、その遊びが落ち着いたあと雲梯を上っている子どもがいました。不思議なのはその遊ぶ様子です。雲梯を上っていても、自分のできるところまでで止まり降りてきていました。これには子どもは自分の中で危機管理能力が関係しているといわれています。人間は自分で自分の身を守る力を本能的に持っているのです。そのため、無理に登ったりしません。しかし、こういった力が働かないことがあります。それは大人が手を貸してしまうことです。大人が手を貸してしまうと子どもは「自分でできた」と思い、自分の能力以上のことを行ってしまうことにつながるようです。とはいえ、すべて、そうというわけではありません。時には子どもたちも失敗し、降りれないところまで登ってしまうことがあります。このようなときに大切なのは大人が下ろすのではなく、子どもに降り方を教えることなのであろうと思います。大切なのは子どもたちが自分で自分の力で身を守ることや自分の能力を知るということを伝えていかなければいけないと思うのです。

 

 

以前、ドイツの保育環境を見たときがありましたが、日本においてはあまり考えられない園庭の環境でした。角のある岩場の滑り台やパイプがもろに出た螺旋階段など、日本では危ないといわれる環境でした。しかし、実際のところドイツではそれによる怪我はほぼないそうです。現地の保育者も「子どもは自分が危ないところには寄らない」といっていました。もしかすると、日本は子どもの環境に過保護なところがあるのかもしれません。

 

 

子どもたちが遊ぶ環境というのをどう作っていくかというのは、もちろん作っていくのは大人ですが、そこにある子どもたちの様子から構成していく必要があります。それが保育の目的である「ひとりひとりに発達に応じた関わり」ができる環境になっていくと思っています。時には臨機応変に変化させたり、子どもたちの遊ぶ様子をサポートを通して発達を保障するということにつながるということを考えなければいけないのでしょうね。今回の保育者の関わりのように、保育において子どもの様子を見て柔軟に環境を変えることは重要だなと改めて感じました。