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投稿日時 2022年3月16日

経験と怪我

副園長のコラムcolumn日々考えること

今日は朝からコンコンという音が元気よく聞こえてきました。その音につられて見に行くと年長さんが卒園制作のために金づちを使って釘打ちをしたり、やすりを使って木の削ったりしていました。何を作るのかはここでは触れないでおこうと思います(笑)

 

こういった子どもの様子を見ていてふと思い出すのが、2011年に見学にいったドイツ研修でした。ドイツの乳幼児施設を見て一番驚いたのが、子どもに「本物」を持たせるということでした。しかも、こういったことは幼児クラスの子どもたちだけではなく、0歳児のまだハイハイをする子どもですらノコギリを引いていました。この姿を見たときに我々日本人の保育関係者は皆、そろって「あぶない」という印象を受けていました。

 

これは日本とドイツとの子ども観の違いがあるのだと思います。ドイツでは「怪我」というものの捉え方は私たちとは少し違い、日本では子どもがけがをした時は園での管理であったり、その時に見ていた保育者の責任が問われることが多くあります。しかし、ドイツでは「怪我をした子どもに責任がある」といっていました。そのため、怪我をしたこと自体よりも、怪我の処置を正しくしたかどうかで苦情があがってくることがほとんどであったようです。

 

しかし、ここまで子どもたちに責任を求めるかどうかは別として、子ども自身が自分の怪我にどう向き合わせるのかということは参考になります。なぜ、怪我をしたのか、どうすれば怪我をしなかったのかということを、子ども自身が経験を通して考えることはとても大切なことです。以前受けた体操の研修での話ですが、そこでは子どもが怪我をするときは子どもが一生懸命上っていたり、遊んでいた時に大人がふと声をかけたときに起きることが多いということが言われていました。他にも、大人が良かれと思って、子どもの手助けをしてしまうと、かえって子どもは「できる」と思ってしまい、その慢心が怪我につながるとも言われています。このことから見ても子どもの遊びと大人の関わりというのは非常に考えさせられます。大人の「良かれ」が子どもにとってはかえって学ぶ機会を奪ってしまうかもしれないのです。ドイツでは前述のように子ども自身に「任せる」対応をとっているからか、年間で絆創膏を使うのは非常にまれなことであるといわれていました。つまりそれは子どもたちは自分で怪我をしない能力を本来は持っているというのです。

 

もちろん怪我することは避けなければいけないのですが、その反面、様々な怪我の対応が子ども自身の能力を失わせているかもしれないということも同時に考えなければいけないのかもしれません。様々な経験の中で、子ども自らが自立していくために、大人は子どもに対して、どうあらなければいけないのでしょうか。それは指導するということだけではなく、子どもの経験を援助し、子ども自身が主体的に活動していくことを手助けし、そこで起きる経験を大切にするような関わりをしていかなければいけないのだろうと思います。そんなことを年長組の木工の様子を見て、ふと感じました。