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相撲大会

副園長のコラムcolumn日々考えること

先日、幼稚園の中庭で「相撲大会」を子どもたちがしていました。先生の話を聞くと、「去年からも、相撲をすることはあったのですが、子どもに『誰が強かった?』と聞くと『(去年卒園した)○○』というように名前が出てきたんです。この名前を聞いて、子どもたちに憧れを持っているのかなと思った」と言っていました。その名前が出てきた子どもは園ではワリとヤンチャな子どもであったのですが、相撲を通して、落ち着いてもきたそうです。相撲遊びは意外と子どもの気持ちの発散にもなっているようです。そして、こういった子どもたちの相撲を楽しむ様子から「今年の集大成として、相撲大会をやってみよう」という話になったそうです。

 

そんな相撲ですが、その起源はどこにあるのでしょうか。日本相撲協会のHPを見ると「古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説」があるように太古の昔からこういった勝負として相撲はあったようです。この天覧試合の戦いは野見宿禰(のみのすくね)が相手を絶滅するまで執拗に攻撃を加えていることから、相撲というよりは死闘をもって力比べをした話ですが、この二人の死闘が相撲の始祖のようです。

 

そこから「その年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として、毎年行われるようになり、これが後に宮廷の行事となり300年続くことになった」というのです。それから鎌倉時代から戦国時代にかけて、武士の戦闘訓練として盛んに行われるようになります。織田信長も相撲愛好家であったそうです。そして、江戸時代になり、浪人や力自慢の物の中から、相撲を職業とする人が現れ、興行としての相撲になっていきます。そして、相撲は歌舞伎と並んで庶民の娯楽として大きな要素になったそうです。

 

 

さて、相撲大会に話を戻すと、子どもたちの相撲大会にはいくつかのルールがあります。「首から上に危害を加えてはいけない」「先生のいないところではしない」「蹴ったり、殴ったりしない」といったものでした。また、大会というだけあり、しっかりとトーナメント表やメダル、トロフィーなども用意されていました。子どもたちも自分たちがやりたい大会だからこそ、目的意識をもって話を聞きます。

 

 以前、ドイツの保育を見学させていただく中に「参画」という言葉を聞きました。参画の言葉の意味は「計画の相談に加わること」とあります。ドイツの保育の中では子どもでも活動に「参画」します。つまり、計画を子どもも一緒に考えるのです。これは子どもの権利条約 第三条における「子どもの意見の尊重」に通じたものであります。そして、この「子どもの意見の尊重」というのは日本が教育や保育において弱い部分とも言われています。

 

 このとき職員の先生と話したことですが、「最初は職員と子どもが関わりながら一つの活動を作り上げることは、子どもたちにとってモデルを得ることにつながるんだと思う。そして、こういった経験を積み重ねることで、小学校に入学した後に『アクティブラーニング』という『自分で計画を立てて活動する』といった能動的な学びができるようにつながってくるんだろうね。」と話をしました。はじめから自分たちだけで計画を当たり前に立てることはなかなか難しいことです。そのため、小学校からいきなり「能動的な学習」といっても、その土台がなければできないのです。こういった遊びの中から面白がって計画を提案したり、みんなでたてる経験を積んだり、先生の手をかりて経験を通して学ぶことは勉強だけをしてもできるようにはなりません。一見、遊びの中のちょっとしたきっかけで始まった大会ですが、子どもたちは遊びから大切なことを学んでいるのです。