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投稿日時 2022年7月14日

環境の見通し

副園長のコラムcolumn日々考えること

幼児のクラスでは今日は成長展のシルエットと制作活動をグループに分かれて行っていました。成長展のシルエットは子どもたちが人型・車型・家型・動物の型を画用紙に貼り、それが何を示しているのかを話すことを作品にすることで、子どもの表現力や言語の習得といったものを見ていく制作です。

 

今日はその成長展の制作を行っていたのですが、いつもと実施する形が違っていました。いつもは半分の人数でやるなら、半分の人数全員で一気に制作活動を行うのですが、今日は4~6人程度の子どもたちで制作を行っていました。はじめ、私は制作する日を休んだ子どもたちがやっているのかと思ったのですが、先生に尋ねてみると、そうではなく、今日は少人数でもともと制作活動を行っているとのことでした。理由を聞いてみると「シルエットをするにあたって、出来上がった作品に対して、子どもたちに話を聞くんですけど、並んでいる間に話すことを忘れちゃう子どもがいたりするので、こういった形で少人数で行っているんですよ」とのことでした。

 

この言葉を聞いて、つい小学校的な形で一人の先生に対して、子どもがずらっといる中で活動をするイメージを持ってしまいます。しかし、大切なことは「子どもたちが制作を楽しめているのか」「先生の意図に沿っているか」ということが重要です。今回の場合は子どもの言語の習得や理解が意図の中に含まれていますから、並んでいる間に忘れちゃったというのはとてももったいないことをしていたといえます。先生たちが子どもたちの様子や状況を見て、それにあった保育環境を整えていくことも大切なことということを改めて感じさせてもらいました。

 

 

 

それと同時に、シルエットの制作をやらない子どもたちは遊びのゾーンで思い思いの遊びをしていまし

た。これも大切なことです。「どう待たせるのか」といった待たせ方を考えることも大切です。「ただ、待たせた」ところで子どもたちに「待つ力」はつかないと思っています。人が待てるのはその先の見通しが立っていないと待てないと思っています。「こういったことが出来る」と考えるから「待てる」のです。よくこれをディズニーランドなどのアトラクションを例に話すことがありますが、1時間でも3時間でも長い時間待てるのは先に乗りたいアトラクションが乗れるという見通しがあるからだと思います。そして、待てば乗れるということがちゃんと保証されているから待てるのだと思います。先に期待するものがなければ今の利益を取ってしまいますし、待ったとしても思ったようにいかないことが見通せていても今を優先します。これは大人でも子どもでも同じことだと思います。こういった経験を繰り返していくことで見通す時間が長くなっていくのだと思います。

 

保育の中でも様々な工夫がありますが、子どもたちが経験を通して学んでいくために、どういった意図を持つことが必要なのか、それは子どもの自然の姿から学ぶことが多いなと感じることがたくさんあります。