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ルールを守る

副園長のコラムcolumn日々考えること

朝、保育室を見にブラブラしていると、芝生で子どもたちが「中当て」をしていました。先生が芝生に養生テープで枠を作って、そこに子どもたちが走り回っています。試しに自分もそこに参加して、一緒に楽しんだのですが、ふとこういったゲームをした時によく耳にする「あ~あてたのに~」といったズルしている子どもに対しての文句を聞くことがなかったことに気が付きました。割とみんな行儀よくボールが当たったら外に出ていきます。もちろん、ボールを投げたいから、ボールの取り合いにもなったりするのですが、大きな喧嘩になるというよりは、話し合いをしたり、じゃんけんしたり、自分たちで解決の方法を見つけている様子を見て、みんなえらいなぁと感心することが多くありました。

 

こういった姿になるのは、体操での時間もあり、そこでも同様の重要さは伝えてくれているだろうと思うので、一概に保育形態だけで起こることはないだろうと思います。しかし、年長のクラスの子どもたちを中心に年下の子どもたちにルールを教えていたり、仲間の中に入れたりしている様子は異年齢のクラススタイルならではの姿であると思っています。こうやって、一緒に遊ぶ中で、ルールを守ることやルールを伝えるというのは先生につたえられたことをただただ守る、知るということよりも、より意味のあることであると思います。

 

昔はこういった姿は兄弟関係や地域の子ども環境の中にあったのでしょうね。今は子どもが少なくなっていることもあり、子ども同士が関わる場というのは極端に減ってきていると思います。地域で子どもが走り回っている姿を見る機会は少ないように思います。ひととのコミュニケーションやよく言われる「思いやり」という感情は教えたからといって、理解できるものではないように思います。そういった感情を持つためには体験を通さなければ、得ることが出来ないものだと思います。大人からは単純に遊んでいるようにしか見えませんが、そこで起きている関わりというのは非常に重要なものを実体験として得ているのだろうと思います。

 

ルールにおいても、自分たちが関わることで、よりその必要性を感じるのではないかと思います。「ルールを守る」ためには「ルールを守らせる」のではなく、「ルールを守る必要がある」ことを実感しないとその必要性は感じないと思っています。子どもの遊びの中で様々なトライ&エラーを起こしていく中で、色々なことを感じ、共有していってほしいと思います。単純に「ルールを守っている」ということの中にも、様々な理解と成長と発達を感じますね。